第一話

昭和38年2月23日 たくさんの雪が降っていた日 朝2時15分に生まれました。

父は紳士服仕立業、母は看護婦。跡取りの長子なので、祖父にかわいがられました。

中学を出てずっと看護婦を続けている母は、祖母に私を預け働き続けました。

私が噴水で遊んでいる時に、そぉっとその場を離れ病院に向かいました。

母が働いている姿を見て、すてきだと思った私は、自分が母となった時も仕事をつづけました。

同じ母に育てられても、妹は家庭も仕事も両方完璧にこなしました。

母親と自分の関係が良いと思っている私は、自分の子育てにおいても仕事優先でした。

子どもの行事に参加をしたのは、運動会くらいです。

たぶん、私の中で運動会が記憶に残っているからだと思います。

小学校の運動会、私が6年生、妹が1年生。

地区別リレーの後、鼓笛隊。

「あんな小さな子が指揮者?6年生?」という声の中演奏は続きました。

家に帰ってから、母は「上手にできたね。おばあちゃんは泣いていたよ。」といいました。

これが子育ての環境作りです。

母は子どもの安心する場、リラックスする場です。

この場合、「背の低いことを指摘された」私のストレスを母は一瞬で消しました。

ずっとみんなと同じ靴が履きたかった私は、背の低いことをとても気にしていました。

「もう、この靴を履けるよ、これ買って!」と大きすぎる靴をおねだりしました。

ここでの出会いは、おばあちゃん

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